秋の日記

主にNEWS関連になるだろう雑記。

粛々と運針を見に行ってきた。

※感想も含むため、ネタバレあり。

 

母名義と私名義を使って申し込みを行い、あまり活躍率が低い私名義が今回は大活躍してくれたことで、1公演見に行けることになった。

行けると決まれば一気に心は安定し、のんびりと公演日まで過ごしていたことで、2日前になってからようやく『そういえば会場ってどこだっけ?多分、東京だよね?』と詳細について私は調べ始めた。

調べた結果、どうやらPARCO劇場というところで行われ、それは渋谷にあるらしい。

『ほぉ〜』と思いながらも去年の12月にハウトゥーサクシードで渋谷には来たし、その時に使った事前予約できる駐車場にまた停めようと思って予約サイトを見てみると、2日前だということもあって、もうすでに満車になっていた。

気持ちが萎えつつもアレコレと駐車場探しをしてみたが、東京の駐車場は狭いようで、高さ制限されているものが多かった。ギリギリ無理なものばかりで予約できるのに予約できないことに何度も悔しい思いをしたが、根気よく探し続けていたことで、PARCO劇場から徒歩10分の距離の場所に置けることになった。よかったよかった。

 


3月22日の13時からの公演だったが、当日はめちゃくちゃ寒かった。多分軽く雪も降っていたと思う。10分ってそれほど遠くない距離だと思っていたが、長く感じたし寒さで凍えた。

渋谷の脇道のようなところを斜めに突っ切って歩いて行き、PARCO劇場に着いた時、思っていたよりも大きなビルで結構驚いた。デッケェな。

もうこういうところのエレベーターは使い物にならないだろうと判断し、のんびりエスカレーターを使って登っていき、8階まで上がっていった。

案外簡単に会場の中にはスッと入って行けた。もっと入るまでに並んで時間が掛かると思っていたから拍子抜けした。会場の中に入り、パンフレットだけ購入して座席に向かうと、舞台の近さや座席の少なさにビックリした。あまり舞台を観劇する人間ではないからこれが一般的なのかどうなのかわからないけど、『舞台用の劇場だ』とそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 


ネタバレ要素あり


誰かがステージに入ってきたな、と思ったら楽器の演奏者で、突然響き渡る音にそれだけで心を掴まれた。音が直に届いてくる。

1回だけじゃその意味を理解することはできなかったが、ステージ上にはたくさんの糸が垂れ下がっており、その中で出演者自らが椅子やテーブルを動かしながら物語が進んでいった。

最終的にはすべてが繋がりあっていたが、主に3組に分けられてそれぞれ物語は進んでいた。フリーターの兄と既婚者の弟。バリキャリの妻と頼りない夫。年老いた女性と幼い少女。

何の前情報を入れずにその舞台を見に行っていたから、繰り広げられる物語に『なるほど〜、これは難しいね』とそう思った。

 

兄弟は決して仲が悪い訳じゃない。どちらかと言えば共に過ごしてきた時間が長く、共有してきた思い出も多いことで、くだらないことに笑い合っていた。でもそれは弟が大人で、兄が大人になりきれていないからこそ生まれてくる仲の良さなのかも。だからそれを良いものとも悪いものとも言えない。

母親に病気が見つかって、弟は母親の現状をしっかりと受け止めていた。その上であんまり母親が長くないことを察し、母親の幸せや母親が亡くなった後のことを真剣に考えようとしていた。それは母親のことが好きで、ちゃんと息子としてやり遂げようとしていたからなのかもしれない。

そして兄は何もかも受け止めることができなかった。母親に親しい異性が居ることも、自分を置いて母親が死ぬことも、何もかも。自分が受け入れられないものを感情だけで否定し、自分の都合の良いように相手を動かして物事を進めようとする。兄は全然、大人になりきれていない。でもそれはそれで純粋な愛でもある。ただただ母親が好きで、母親に死んでほしくない、母親に喜んでほしいだけの甘えたな息子。

どちらも心の底から母親のことを愛しているし、決してお互いのことを嫌っている訳でもない。ただ、家族ではあるが別々の人間であることで、譲れないものや分かり合えないことがあるってだけ。

 


もう最初の時点でペットも子どもも要らないと納得した上で結婚した2人だったが、『子どもが出来たかもしれない』ということに喜ぶ夫とそれに『なんで?』となる妻。

妻は完璧な人だ。だからこそ、子どもを育てることが嫌だった。子どもが生まれることで自分が自分じゃなくなることが嫌だったし、変わらずにただただ自分のままに生きていたかったから。

そして夫は何者にもなれてないからこそ、『父親』という確固たるものがほしかった。その2人が子どもについてアレコレと話し合うことは見ていて難しさを感じた。こうやって夫婦は価値観の違いによって離婚するんだなぁと思ったし、好きな人と共に過ごすことで幸せなことは多いけど好きだからこそ苦しむことも少なからずあるだろうなぁと辛くなった。だって兄弟ですら分かり合うことができていないのに、元々は赤の他人だった夫婦が分かりあっていくことは本当に本当に難しい。

命を通してそれぞれの考えが明らかになっていく。決して軽くないものだからこそ、譲れないものや譲りたくないものがあって、でもそのことに対して正解がないこそ、ひたすら言い争うことしかできない。

『難しいな〜』とずっとそう思いながら見ていた。私ならどうするか?ということですら、命に対して直面しなければ自分の中から真実は出てこないんじゃないかと思う。頭の中で考えたことならいくらでも言えるけど、いざ直面した時、事前に頭の中で考えていた時とは全然違うことを言い出すかもしれないし。

ただ思うのは、自分の考えを押し付けることによって相手を傷付けたくない。お互いの譲れない部分を大切にしつつも互いに歩み寄り、その結果、納得のいく良い方向へと共に進んで行けたらいいなと思う。

 


とても考えさせられる内容だった。

そして舞台ってこういうものだよな、とも思った。最後はこちらに考えを託し、自分の中の答えを見つけ出させようとしてくれる。だからこそ舞台上では答えを出さず、ふんわりと終わる。

映画やドラマってちゃんと終わりが見える。ハッピーエンドとかバッドエンドとか。でも舞台ってよくわからないまま終わって消化不良になることもあるけど、粛々と運針はわかりやすく考えや答えを託された気がした。なんかそれってすごくありがたいし面白い。そしてステージ上で行われたすべてを否定せずにいてくれたことも嬉しかった。

まだ命に対する私の中の確固たる答えは見付けられていないけど、粛々と運針での出来事を頭の片隅に置き、のんびりと私なりのものを見付けられたらいいな、ってそう思った。

 

 


加藤さんの生声を堪能できて私は超嬉しいよ。あとパンフレットまだ読んでないんだけど、ペラペラした時『加藤シゲアキの写真集かな?』と本気で思った。どの写真も良いし、顔が良い。