秋の日記

主にNEWS関連になるだろう雑記。

『好き』との向き合い方

この話をすると『そりゃ当たり前でしょ』と笑われるんだけど、私は富士山に登った時富士山が見えないことに衝撃を受けた。

なんでなのか上手く説明することができないんだけど、私はめちゃくちゃ富士山が好きだ。生活のちょっとした隙間に富士山が見えると、それだけで私の気分は上がっていく。特に、空気が澄んだ日に雪の被った富士山がバーンっと見えた日には『生きててよかった〜』と思うぐらい幸せになる。

神奈川住みの私は結構頻繁に富士山を見るし、自ら静岡や山梨に行って、色んな角度から富士山を楽しんでいる。そして富士山が見える範囲なら何処へ行っても大抵場所を示した地図には『天気の良い日にはこの方角から富士山が見えます』と書いてあり、どこだどこだ?と私は必ず富士山の姿を探す。

そんな大好きな富士山に登った時、頂上から見た景色の中には富士山がなかった。そのことに私はショックを受けた。富士山の影しか見えない。なんていうことだ……と。日本一高い山に登ったのに、何の障害もなく景色を望めるのに、私が一番見たいものが見えなかった。富士山に登ってしまったら、富士山の姿を見ることができない。

『富士山が好き』『富士山に登ってみたい』以外は何も考えていなかった。バカだなぁ、と思われるかもしれないけど登るまでそのことに気付かず、登って景色を見た時に衝撃を受けた。そしてそれと同時に『あぁ。私って、富士山を見ることが好きなんだ……』と自覚した。

もう登らない、もう見てるだけにする。

 


それからは外側から富士山を見て楽しんでいるが、『これって身近なことでも言える話だなぁ』とたまに富士山の話を思い出す。

夢中になると本質が見えなくなるし、内側に入ってしまうと見たいものも見えなくなる。そういえば加藤さんも似たようなことを言っていた、『好きになりすぎないことが大事』と。

もちろん内側に入ることはいいことだし、好きを極めるのもいいと思う。でも私には向いてない。好き=得意じゃないから。

車の運転が好きだけど、車の運転が得意なわけじゃない。旅行するのは好きだけど、旅行会社で働けるほど物知りなわけじゃない。書くことは好きだけど、文章力も日本語力もないから苦しむ。

私の場合、好きが得意に直結していない。

でもそれなら勉強して極めればいい話なんだろうけど、そこで私の面倒くさい性格が発揮されてしまう。

好きだけど才能がないことや全部を手に入れられないことで気持ちが不安定になり、醜い感情で支配される。そして一度夢中になると、ご飯を食べることも寝ることもお風呂に入ることも削り、人間としての生活が疎かになっていき、判断力も落ちていく。そのくせ熱しやすくて冷めやすいから急にパタッとどうでもよくなってしまうこともある。

本当に好きで好きでたまらないけど、自分のためにも『好き』に対して本気にならないようにしているし、好きだからこそ距離を取っている。

なるべく内側に入らないようにして、好きを好きなままで居られるようにして、好きになりすぎないようにして、そうしてなるべく登らず、色んな角度から見ることで好きを楽しんで好きを深めている。

 

 

……とは言いつつも『後悔のないように生きる』が私のモットーだから登る時は登る。登らなきゃいけない時があるし、やらねばならぬ時もある。

だって登らないとわからないことや見えない景色がたくさんあるから。

あの日、富士山を登った時、『富士山は山じゃねぇな』って思った。私が知っている山は緑に溢れてて登ったり下ったり尾根を歩いたりする。でも富士山は標高が高いことで草木が生えず、岩や砂ばかりだったしひたすら登るだけだった。そんなの登らないときっとわからなかった。そして日の出を見るために上がって行く途中、立ち止まって見上げた星の多さに驚いた。ツアーガイドさんが裏ルートを使ったことで、私達がヘッドライトを消すと周りは真っ暗になる。だからとってもたくさんの星を肉眼で見ることができた。あと目的だった頂上から見た日の出も素晴らしかったし、そういうのは登らなきゃわからないし、登ったから得られたもの。

だから『とりあえずやってみる』という精神を持ちつつも、自分が存分に楽しめる距離感を保つ。そうやって生きていくと楽しいし幸せ。

 

 

 

今日も今日とて、NEWSも手越さんも大好き〜〜!