秋の日記

主にNEWS関連になるだろう雑記。

閃光スクランブル感想

ようやく加藤さんの2作目である『閃光スクランブル』を読み終えた。アイドルが書く、アイドルの話とは興味深く、とても面白かった。

閃光スクランブルを通して感じたことを語る前に、読んでいる時に色々思い出したので、まずは私の昔話から始めたい。

 

私は本が好きじゃない。正確に言うと本に対して興味がなく、あまり触れ合ってきた人生ではなかった。漫画はよく読んでいた。だけど小説は国語の教科書ぐらいしか読んでこなかった。文字を追って想像するよりも、漫画やアニメのように絵や声がある方がわかりやすく、それの方が見ていてとても楽しかった。だから小さい頃の私は進んで小説を見ることなんてほぼなく、小説が好き嫌いというよりも、自分の中に小説を読むという選択肢が最初からなかった。

そんな中、アニメ漫画好きが講じて友達経由で二次創作にハマった。夢小説を見るようになった。そこから夢小説→二次創作小説(腐)→一次創作小説(腐)と割と早い段階で進化し、早々に自分は腐った人間で、私はオリジナル(一次創作)の方が好きだと理解した。周りも類友で腐った人間ばかりいたが、みんな二次創作の方が好きで、私は1人一次創作の道を開拓していった。

夢小説にハマってからはひたすら小説を読むようになったが、私が読んでいたものは全てプロが書いた小説ではなく、一般人が趣味として書いたケータイ小説。元々小説を読む人間じゃないから文章の上手い下手とかもわからず、ただただ見る小説全部が面白くて、一次創作ランキングの端から端まで毎日確認し、新たな萌えがないか日々探し続けた。

そのうち、欲が出てきた。『こんな話を見たいな』という欲。私が頭に思い描いた話や私が見たいと思う話が小説になっていればいいのに、と。でもそんな上手い話なんてなく、なら私が書けばいい、と書くことを始めた。

自己満足で始めたことだったから最初はどこにも公開せず、2年ぐらいはひたすら自分のためだけに書き、自分だけで楽しんでいた。だけど何かのタイミングで自分でもサイトを作り、公開するようになった。そこから人に見られるということを意識し始め、創作活動が辛くなってきた。

元々本が好きな人間ではなく、ちゃんとしたプロの小説を読んでこなかったから、小説の書き方がわからない。小説がどういうものなのかのというテンプレさえ私はわかっていない。文字を連ねれば文章になるけれども、これは多分小説としては変だと思う、と。今まで小説を読んでこなかったゆえに文章力や日本語力・語彙力がないことをコンプレックスに思うようになった。

周りの評価を気にして書くのが辛くなって悪い方向へと気持ちが行ってしまうことが頻繁にあり、でも自分の妄想を文字化するのはすごくすごく楽しくて、常に創作活動に関して情緒不安定だった。

そうこうしてるうちに、私の中に物語へのこだわりが出てきて、それがこじれてきた。他の人が書いた小説を面白いと感じられなくなった。数年前まで見る小説全部を面白いと感じていたのに、どれもこれも面白いと感じられなくなった。多分こじらせたのもあるし、歳を重ねて好みが凝り固まり、食わず嫌いになってきたのもある。少しでも自分にとって気に入らない点があると、どんな物語も読み進めることができなかった。

でもそんな私は商業誌に手を出すようになって、また小説を面白いと感じられるようになった。プロの小説はそれはそれはちゃんとしていた。だけどしばらくするとこだわりが強くなっていき、自分好みの読みたい小説がないことをもどかしく思うようになった。

私は『当たり前の日常』がすごく好き。甘々ほのぼのが大好き。当たり前の幸せを2人が感じてたり、イチャイチャしてるのが微笑ましい。男女で当たり前のことを男男でやっていてほしい。葛藤もそりゃあるし、世間の目もあるけど、2人が2人の世界を作り幸せにしているのが私にとって最高に幸せで、こういう話が大好き。

でもこれって本当に山なし落ちなし意味なしのやおい話で、商業誌でこういうような話を見つける方がたいへん。そしてそのうち他のことがキッカケで心が荒むようになり、本格的にBL小説も読めなくなった。

 

私は物語が好きだし、人もすごく好きなんだと思う。『この人はどんなことを考えてるんだろう』『何が好きなんだろう』『何故そう思ったんだろう』と、人に興味がある。そして私はその人が持つ考え方に惹かれるようだ。あと『ことば』が好き。人が好きだからこそ、人それぞれのことばや表現にその人の人間性が詰まっていて、それを魅力的に感じる。

だから小説は良くも悪くも私にとって色んな影響を与える。物語を通して主の感情を感じたり、作者を感じることで、私は物語にのめり込んでしまう。そして好き嫌いがハッキリしてるということもあり、好きなものは好きだけど、嫌いなものはとことん無理。

 

 

 

 


ここからようやく閃光スクランブルについて触れていきたいと思う。

そんな小説に関して偏った知識と変なこだわりを持っている私だけど、『大好きなNEWS加藤シゲアキの作品』というキッカケがあって読むことができた。今まで国語の教科書以外ほぼ普通の小説を読んだことがなかった私だけど、NEWSにハマってからは、加藤さんキッカケでまだ片手にも満たないけど普通の小説も読むようになった。閃光スクランブルは贔屓目を抜きしても面白かった。そしてピンクとグレーよりもわかりやすく、内容がスッと入ってきた。

この作品は加藤さんにしか書けない話だと思う。アイドルである加藤さんだからこそわかるものや感じるものがある。むしろ他の人でもわかるようなことを書いたって面白くない。加藤さんだからこそのものが光る作品。

タイプライターズをキッカケに朝井リョウさんの『武道館』を私は去年読んでいて、これも同じくアイドルの話だった。でも今思い返してみるとこの話にはファン側の気持ちがあった。でも加藤さんの閃光スクランブルにはファン側の気持ちはあまりなかった。むしろアイドル側だけに焦点があたっててファン側にはあまり焦点が当たってなかった。これをアイドルである加藤さんが書いてるということがなんとも言えない気持ちになった。

芸能人は否応無しに世間から色んな声があがる。良い声もあれば悪い声もあり、閃光スクランブルでは悪い声が肝になっていた。けれどフィクションなんだから批判してる声だけでなく、最後の方にアイドルを生きがいにしてる人やアイドルのおかげで救われてる人の描写があってもよかったな、と思った。だけどアイドルである加藤さんだからこそファン側の視点を書くことにためらいがあったのかな?と勝手に私は想像した。本物のアイドルだからこそ、自分が思い描く理想のファンの言葉(ファンに言って欲しい言葉、思っててほしいこと)を書かなかったのかもしれない。

そして芸能という仕事について触れられてる中で、

『そういう世界です。そこで生きられるのはよっぽどの天才か、鈍感な人間だけなんです』

『やめればよかったのに』

『誰だってやめられませんよ、ステージからの景色を見たら』

『……そんなに快感か』

『はい、この世のものとは思えないほど』

これだけじゃない。いくつもあった。閃光スクランブルの中でのアッキー(アイドル)の言葉に加藤さん自身を何度も感じた。6人から4人のNEWSになり、美しい恋にするよを超えた加藤さんの心情なんじゃないかな、と思えた。

元々ちゃんとした小説を読んできた人間じゃないから普通がわからないけど、私は書いた小説の中には書いた人自身がいると思っている。もちろん全部じゃなく一部だろうけど、その一部を誇張させて書いていると思う。私自身、私が書いてきたものには少なからず私がいる。私の好みや私が見た景色、私が感じたものなど、私自身が体験したものが小説に反映されている。

まぁでも一般人とプロの小説家ではきっと全然違うから、もしかしたら私のこの考えは間違ってるのかもしれない。

でも私は信じたい。物語を通して作者の一部を垣間見ることができて、加藤さんの書いた小説の中には加藤さんの一部がいる、と。信じたい。全部じゃないことはわかっているが、書かれたものが加藤さんが一瞬でも感じたものであってほしい。もしそうなら、こんな愛おしい作品なかなかない。

 

今でも進んで本を読める人間じゃない。でも加藤さんをキッカケに、BLじゃない本も読むようになった。今まで普通の本とは縁がなかった自分にとって、また世界が一歩広がった。

 

 


閃光スクランブルのアッキーの心情が加藤さんの一部であることを私は信じてる。