秋の日記

主にNEWS関連になるだろう雑記。

ジャニーさんは歌に特化したユニットを作りたかった

前の記事(テゴマスってシンメじゃん!! - 秋の日記)の続きになるけど、もしかしたらジャニーさんとしては予定が狂ったのかもしれない。それか想定外だった、とか。

 

 

手越さんはエッセイ本で、ジャニーズJr.からNEWSに成り上がったきっかけをちゃんと話してくれていたわ。要約すると『トニセンのライブ楽屋にジャニーさんと振付師さんがやってきた。そこで世界に一つだけの花をアカペラで歌ったら、その20〜30分後に振付師さんが戻ってきて、KAT-TUNのライブのJr.コーナーで歌うことを言われた』と。

いつ頃のコンサートだったんだろうと思って、2003年のトニセンのコンサート情報を調べてみると、『20th Century "Screaming"』というコンサートを2003年4月20日-2003年6月29日の間でやっていた。多分これのことかな?この公演のどこかのタイミングで手越さんはジャニーさんに歌を聞いてもらい、手越さんの運命は大きく変わった、と。

増田さんの具体的なタイミングはわからないけど、確かジャニーさんに『変わった声をしてる』って褒められたんだよね?それで「YOUは声がいいから歌った方がいいよ」って言われて歌を頑張り始めた、って。

そしてそんな2人が顔を合わせたタイミングがKAT-TUNのライブのリハの時なのか、それともそれよりも前にジャニーさんが個人的に2人を呼んで会わせたのかはわかんないけど、おおよそテゴマスが出会ったのは2003年の6月〜7月頃だろうよ。

ということは、6〜7月にテゴマスが出会って、8月に公式的に一緒に歌い始めて、9月にNEWSが結成されるという劇的な期間を過ごしていたことが見えて来る。

 


ただ、浮かぶ疑問としては"何故あの時ジャニーさんは歌える人間を探していたのか"ということ。これはきっと森内さんが関係していると思う。

そもそも森内さんは2001年8月からジャニーズに入っていて(私が手越さんを中心にしてアレコレと見ているから、前後左右の情報を幅広く集めていないけれど……)、森内さんが森進一さんの子どもであることは当時のファンの中では知れ渡っていたことなんだと思う。

だからなのか、実力なのか、実際のところは私にはよくわからないけど、森内さんは増田さんがよく口にする”エリートJr.”というやつで、早めからマイクを持たせてもらい、先輩のコンサートやジャニーズの番組で歌を歌っていた。

そういう背景があるから、なんとなーくの私の想像だけど、ジャニーさんは森内さんの存在がキッカケで、歌に特化したユニットを森内さんを中心にして作りたかったのかもしれない。それのお試しの場がKAT-TUNのコンサートで、森内さんをセンター(歌のメイン)にしてテゴマスがコーラスとして支えた。

……でも、テゴマスが思っていた以上に歌が上手かった。

その頃からずっと手越さんは歌に対して自信があったし、負けず嫌い(なんでも1番が良い)な性格もあるから、だいぶ歌が上手かったことは想像できる。そして増田さんを追い掛けている人のKAT-TUNのコンサートのレポを読んだが、多少贔屓目もあるだろうけど、増田さんも歌が上手かったらしい。

増田さんって本人も言っていた通り、Jr.時代にマイクをなかなか持てなかった。増田さんを追い掛けている人も、大変コンで初めて増田さんの歌を聞いたみたい。やっぱりそれまでの増田貴久はダンスが中心で、その歌声を響かすってことはなかったんだろうよ。でもいざ歌ってみたら上手くって、しかも歌に一生懸命で、歌うことが好きだった。

 


大変コンの横浜公演(8月8日〜10日)までは行カナイデを森内さんメインでテゴマスがコーラスで歌っていた。

そして次の大阪公演(8月23日〜24日)では1日目は夕焼けの歌を森内さんメインでテゴマスがコーラスで歌っていたが、2日目では行カナイデに戻ったが、どうやらメドレーが追加されたようで、その中で『とまどいながら』のサビを増田さんがひとりで歌っていたらしい。あと、私が調べていた中ではどこにも書かれてなかったからこれは想像だけど、手越さんもそのメドレーの中で『ding-dong』のサビをひとりで歌ったのかもしれない。

ラストである名古屋公演(8月28日)の時点ではもう、8月29日にJr.達でMステに出ることが決定していた。その為、いち早くその公演ではMステでやるメドレーを披露してくれていたらしい。そのメドレーの中で、『とまどいながら』をテゴマスだけで歌っていた。森内さんのコーラスだけでなく、独立して2人でその曲を歌った。

角が立つ言い方になってしまってたら本当に嫌なんだけど、多分それが答えだったんだと思う。

ジャニーさんの中で『歌に特化したユニットを作りたい』という気持ちが多分あった→そのユニットで森内さんを歌のメインにしようとしていた→それを支えるコーラスとして歌の上手い人を探し、歌のシンメ(テゴマス)を作った→KAT-TUNコンサートでお試しした→思いの外、テゴマスが歌が上手で、結果的にテゴマスが森内さんを食ってしまった。

 

ジャニーさんは歌に特化したユニットを作りたかった。そしてそのスタートやキッカケになったのはきっと森内さん。でもテゴマスの歌を聞いて、最初の想定とは少し変わってしまったが、本格的に歌に特化したユニットを作ることをジャニーさんは決めたんじゃないだろうか。

 

 

 

テゴマスの才能が凄すぎる……。