秋の日記

主にNEWS関連になるだろう雑記。

手越さんからの手紙

どうやら手越さんの公式LINEがこっそりリニューアルしたらしく、少し前に手越さんが書いてくれた手紙がメニューから見られるようになった。なので、それを見てきた。

やっぱり、手越さんから送られてきた1通目を私は覚えていない。読んでいない可能性もあるし、忘れっぽい人間だから読んでいたとしてもスッカリ忘れている可能性もある。だから『手越さん、こんなこと書いてたんだー!』って今初めて知った。

そして1通目を読んでて思ったけど、本当私って手越さんと言っていることが被る。過程は違うのに、結果が似る。

なんでなのかなー?と思うたびに『手越さんと私って、同じ蠍座だから?』って勝手に結論付けている。そういう星の元に生まれたのかもしれない。知らんけど。


ここの日記もそうだけど、私はなんだかんだで、ずーっとどこかしらで文字を書き続けている。自分の考えや思いを表現するのが多分好きなんだと思う。そして過去の私の言葉は笑っちゃうぐらい今の私と変わらないしブレていない。昔も今と変わらず、『人生が楽しい』『後悔がないように生きたい』って私は何度も文字にしていた。

そもそも、私は別に手越さんと違って『後悔しないような生き方をしてけ』って育てられ方してないし、親族の死を経験した訳でもない。ただある日、『後悔しないように生きていきたい』ってふとそう思った。上手く言えないけど、降りてきた。あるいは、悟りを開いた。という感じ。

結構私の人生はこういうのがよくあるし、運命的な出来事も多い。だから私はその運命に従って進み、そうしているうちに、徐々に私という人間が出来上がっていった。


私は自分のことを典型的な蠍座だって思ってる。占いとかで「蠍座 性格」で出てきた内容がドンピシャで当たる。でもこれは自己暗示力が高いから寄せに行ってるところが少しはあるのかもしれないけど、本当に笑っちゃうぐらい当たってるんだわ。嫉妬心や独占欲が強いし、狭く深い人間付き合いしか出来ない。

そんな典型的な蠍座だから、手越さんが蠍座でしかも人生のテーマが被ってると知った時、手越さんの『本当』が私はわからなくなった。同じ蠍座ってこと以外は性別も年齢も何もかも被ってないんだから違うことなんて当たり前なのに、『だって蠍座なんでしょ?嫉妬せずにやってける?博愛主義で居られる?広い交友関係なんて持てる?』って。みんながみんな蠍座だからって私みたいにテンプレな性格をしている訳じゃないってわかってはいるんだけど、何故か私は手越さんを同一視してしまう。手越さんが言っていることが全部本当だと、私は信じられていない。決して嘘ではないんだろうけど、手越さんも私と同じで自己暗示力が高い。『俺はこう居なきゃいけない』のように、周りから見た自分の姿がわかっていて、その鎧を着ている感じが少なからずある。嘘ではないんだけど、本当の部分を拡大に表現しているというかなんというか。

だから手越さんのエッセイ本を読んだ時、『なんでなんだよもぉ』って少し思った。手越祐也を生きるのも楽じゃないなぁ、って。でもそのあとにコンサートパンフレットや過去のインタビュー記事をアレコレと読んでいたら『手越さんらしいなぁ』って色々と繋がった。増田さん曰く、強そうなのに弱い=手越なんだもん。なんかもう仕方がないし、手越さんの全部が愛おしくなる。

負けず嫌いな手越さんはどんな時でも困難に真っ向から立ち向かって、常に強くあろうとする。そして誰かの為に何かができるとっても優しい人だし、ファンやNEWSやその周りの人達に対して感謝や愛情を持っている。『本当』が色々とわからない中、それは本当だと私は思った。それさえわかっていれば私としては充分。結局のところ私は『手越祐也という存在そのもの』が大好きで、どんな手越さんだって愛おしい。

そうやって不器用な生き方しかできない手越さんだったけど、手紙ではだいぶ角が取れていたし、それほど強い表現も目立たなかった。『本当にこれは、ライオンのたてがみをつけたあの手越さんが書いたものなの?』と訝しむぐらい色々とさらけ出してくれていた。読んでる間常にニコニコしちゃうぐらい私はとっても嬉しかったし、ファンへと語りかけているような温かい雰囲気や柔らかい言葉に『手越さんのこと本当大好きだなぁ』ってずっとそう思っていた。

お手紙ありがとう。色んな話を知ることができてとっても嬉しかったよ。今日も今日とて私は手越さんのことが大好きだし愛しているよ。

 

 

 

友に「秋ちゃんって3年前から(NEWSや手越さんへの)熱量が変わんないよね」って言われて「まぁ毎回惚れ直してるからね」ってスルッと口から出たことを私はまた思い出したわ。