秋の日記

主にNEWS関連になるだろう雑記。

好きだけど嫌い、嫌いだけど好き

雑誌などで手越さんの言葉を見るたびに『わー!嫌い!!』と、よくそう思う。だけど私は手越さんのことがめちゃくちゃ大好きなのだ。それが我ながらとても面白くてふふふと笑ってしまう。

 

 

「LINEの友だち人数は2000人くらい」「日本を引っぱってるような企業の社長」などなど、何故だか手越さんから出てくる言葉は私の『この人嫌いだなぁ』と思うスイッチを押しまくるし、『それは考えの押し付けだぞ』と思うようなことも多い。

そもそも私は自己啓発本が合わない。嫌われる勇気を読んだ時ぐらいにパラパラと自己啓発本を何冊か読んだことがあるが、こうするべきだ!ああするべきだ!という書き方に、『それはあなたの考え方でしょ?私は違う』と思った。共感できるものや納得できるものなら別だけど、自分とは全く違う考えで、しかもそれを押し付けるような書き方に私は腹が立った。私は私でとても我が強く、誰かの言葉よりも私は私を信じている。だからぶつかり合っちゃうんだと思う。でも私はカッと『嫌いだ!!』となりやすいけど、時間が経つと『まぁそういう人も居るよね。十人十色』と思う。自分は自分、他人は他人となるべく分けて考えるようにしている。

そういうことがあるからだろうね、手越さんの誰かを否定するような言葉によく引っ掛かりを覚える。手越さんの言葉は強いから、意図しているのかわからないけど結構人を傷付けているし攻撃してくる。

「世の中の多くの人は自分の考えや夢を言葉にするのを避けるし、角が立つことを怖がる。だからハッキリ物を言う人間に対して腹を立てるのかなって」と言っていたが、自分の生き方を否定するようなことが書かれていたらそりゃ腹が立つ。『私はこれで生きてるんだ!それを嫌だと思ったことなんて無いのに、それを否定するようなことを言うなんて!』と。何なんだよ嫌いだよ嫌い!と手越さんの言動に対して思う。でもそう思うなら見なきゃいいんだけど、結局は『手越祐也』ってことですべてがどうでもよくなる。

色んな人がいて、人それぞれ色んな考えを持っているのはもちろん、手越祐也だから『手越さんらしいなー』と私は何もかもが愛おしくなる。良い意味で勝手にしててほしい。好きだったり楽しかったりするから私は手越さんを見ているわけで、本当に嫌いなら私は一切見ることはない。でも見てるってことは要は手越さんのことがめちゃくちゃ好きなんだよ。だから別になんだっていい。

嫌いなものは見ないし、好きなものだけを見てるしやってる。

 


たまに手越さんと私は言っている事が被る時がある。でも多分それって人生のテーマ的なものが似ているんじゃないかと勝手に思っている。私は『後悔のないように生きる』がモットーで、今たとえ死んでもいいとそう思えるように生きている。あれやっとけばよかったこれしとけばよかったを絶対に残したくない。やりたいことがあるならやる、もしやれないならタイミングじゃないかやらない方がいいんだと結論付け、ダラダラとのんびり生きることも楽しい。『そういう時間も大事。こうやってのんびりすることで英気を養い、さらに楽しく元気に動ける』と思っている。インドアだしアウトドア、ネガティブだしポジティブ。ただどういうことにしろ自分に素直に、後悔のないように生きれてたら100点満点。

だから手越さんとは結果は似ているけど過程は違う、とそう思っている。

正直、私は手越さんのような人は嫌いだ。1個1個嫌いなところを挙げたらキリがない。でも手越祐也ということがその1個1個の嫌いなところが全て好きに覆われる。『手越祐也そのもの』が本当に本当に私は好きで好きでたまらない。理屈じゃない。言葉じゃそれを説明しきれない。

嫌いなところだって手越さんの一部なのかと思うともうそれだけで好き。嫌いだよ嫌い!……でもそういうところも含めて手越さんらしくて好き!!ってなる。手越祐也ということで物事のすべてが解決する。

だって手越祐也なんだもん。

 

 


あとこれもよく思うんだけど、手越さんやNEWSやテゴマスによって幸せをもらっているけど、自分を幸せにするのは自分だと思っているから、手越さんやNEWSやテゴマスがすべてだとは思っていない。彼らに私の人生の責任を負わせたくないし、背負わせる気はない。私は私で責任持って生きているから大丈夫だよ。

 

 

 

言われなくてもそうしているだろうが、どうか自由に生きてくれ。